号泣したクリスマスのその先に

ごきげんよう。映子と申します。
ぽっぽアドベント13日目の筆者です。
最愛の人は映画『裏切りのサーカス』のジム・プリドーです。どうぞよろしく。

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2019年12月24日、ぽっぽアドベントに投稿をした数日後、わたしは泣きながら夜の銀座を歩いていた。時間は19時を回っていた。銀座教会のクリスマス礼拝が始まって、もう30分経っている。
その日は定時で上がるつもりで、朝から気合を入れていた。入社半年で重たい仕事を任され、1日12時間働くのが当たり前の日々の中で、わたしの支えだったのがクリスマスイブの礼拝だった。
わたしの人生でクリスマスイブの礼拝に出なかったことなどおそらくない。わたしはボーンクリスチャンで、イブは教会でろうそくに火をともし、讃美歌を歌うのが習慣だった。温かいココアを飲んでキャロリングに行き、みんなでおめでとうと言い合う。それがわたしのクリスマスだ。

時間を24日の朝に戻そう。わたしはなんとか起き上がって、服を着替えて化粧をし、めずらしく朝食まで作っていた。ぎりぎりまで眠って朝食を抜くことも多かったから、やはり相当気合が入っていたのだと思う。パンを焼いていたとき、携帯が鳴った。時々ふらりと泊まりに来ていた友人Yからだった。
「もしもし?」
「こちら〇〇警察署です。Yさんのお友達の映子さんですか?」
友人に似た、少し鼻にかかった高い声だった。わたしはてっきりYがふざけているのだと思って、「はあ」とか「へえ」とか適当に返事をした。
「Yさんが泥酔しているところを保護されまして、迎えに来ていただきたいのですが……。ご実家が遠くて、今は映子さんと住んでいるとおっしゃっているので」
いや、突然泊まりに来るだけで家賃も何ももらってないですけど……。どうやら電話口にいるのがYではないということは分かったが、かけてきたのが本当に警察官なのかはわからない。そう主張して、担当の方の部署と名前を教えてもらって警察署に電話をした。
結果。
電話してきた警察官は本物で、Yはたしかに泥酔していまも半分眠っており、迎えに行ける親しい友人はわたししかいないのだった。
Yが不安定になっているのも、酒量が増えているのも知ってはいた。そしてその日はクリスマスイブで、救い主の誕生を祝いみんなの幸せを願う日だった。こんな日に、長年の友人を放っておけるだろうか。定時で上がるという予定は狂うが、幸い、アポが入っているのは午後だけだ。わたしは会社に午前休の連絡をし、大急ぎでいつもと反対方向の電車に乗り込んだ。
果たして、警察署でわたしの顔を見たYは大笑いした。まだ酒が抜けていないらしい。買っておいた水を飲ませ、Yの家族と連絡を取り、3キロ先のわたしの家まで歩くよと酔っ払ってケラケラ笑う友人をタクシーに押し込み、北関東の実家に帰るよう説得し、出社するときに途中まで一緒に行こうとなだめすかして荷物をまとめさせ、ようやく都心へ向かう電車に乗り込んだ時には昼近かった。
わたしも動転していたのだろう。Yと別れたあと乗り換えた山手線で、御徒町に行きたかったのに秋葉原で降りてしまい、寒風が吹きすさぶホームで仕事相手に詫びの電話をするはめになった。まったく、とんだクリスマスイブだ。
当時のわたしは入社1年目の癖にやたら重い責任とやってもやっても終わらない仕事に苛まれていた。常に板挟みで、助けを求めても人手は増えない。そんな中でクリスマスは一筋の光だった。

闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の影の地に住む者の上に、光が輝いた
イザヤ書9章1節

それはわたしのことだった。
だから、どうしてもクリスマスイブの礼拝に出たかった。ろうそくに火をともして、見知らぬ人たちと喜びを分かち合いたかった。せめてクリスマスくらいは、今までどおりに家族や友人と過ごせなくても、それでもいつも通りに祝いたかった。そうでないと、自分が自分でなくなってしまうような気がしていた。
たぶん、もう限界が来ていたんだと思う。
果たしてなんとかたどりついた銀座教会は人で溢れかえっていた。きっとわたしのように、仕事のために自分の教会の礼拝に出られない人々が駆け込んでくるのだろう。礼拝堂は満席で、プロジェクターを設置した別室に案内された。けれども何より印象的だったのは、外階段で出迎えてくれたふたりの青年だった。この寒い日に、わたしのような遅れてきた人を迎えるために、オルガンの音すら聞こえない外に立っているのだ。なんという愛だろう。
クリスマスおめでとう。彼らが幸せでありますように。

その後、わたしの体調はどんどん悪化した。正月休みを経て一度は落ち着いたものの、道端でめまいを起こして倒れたり、涙が止まらず出社できなくなったりした。それでもやらないことには仕事は減らないので、夕方にのろのろと出社して仕事をした。会社にいる間は元気に振る舞えていたけれど、一歩出た瞬間吐き気がこみ上げる。心療内科の医師(これがひどくぼんやりした人で、毎回事の顛末を最初から話さないといけない)より先に、みかねた上司に休職を勧められた。

それからはあっという間だった。実家に帰っている間にcovid-19が広がり、そうこうしているうちに休職期間(たった2ヶ月しか認められない!)を満了し、一度も職場に顔を出すことなく退職した。
そのあとは、ひたすら寝た。
時々ケーキを焼いたりマスクを縫ったりぎらちゃん(※うさぎのぬいぐるみ。名前は『裏切りのサーカス』のピーター・ギラムに由来)にセーターを編んだりしたけれど、ほとんどの時間は寝て過ごした。そうして半年が経ち、ついにわたしは寝るのに飽きた。

いまは小ぢんまりした愉快な職場で働いている。満員電車で出社して昼休憩もろくに取らずに12時間働き有楽町の吉野家で牛丼を掻きこんでから1時間電車に揺られて帰る生活から一転、徒歩で通勤し18時には帰宅する生活だ。
東京を離れるのは正直ものすごく悩んだ。
地元にはあまりいい思い出がなかった。友人たちとも離れ離れになるし、娯楽だって限られる。給料もよくない。
それでも帰ってきて良かったと思うのは、心に余裕ができたからだ。
今月、学生時代からの夢を一つ叶えた。
あしながさんになったのだ。
以前は寄付する心の余裕なんてなかったが、ようやくかつての夢を思い出した。仕事も生活も体調も思い通りにならないけれど、ひとつだけ夢を叶えることができた。ささやかだが、給料の1.5%くらいの額を毎月寄付する予定だ。
誰かの役に立つと思えば労働意欲も湧くものである。それに、見知らぬたくさんの新しい家族ができたようでなんだか嬉しい。
www.ashinaga.org


今年こそ、笑顔でクリスマスを祝いたい。
どうか皆が幸せでありますように。
世界はすっかり変わってしまったけれど、今年もクリスマスはやってくる。


明日の担当ははるさん、ご飯でススムさんと他9999人さん、松倉東さんです! 
それでは皆様、良いクリスマスと年の瀬をお過ごしください。